急に恥ずかしいことを言いますが、40過ぎるまでドミノを「倒すためのおもちゃ」だと思ってました。
なんとなく気になって調べたら、予想外の方向に転がっていきまして。転がる話にドミノ、うまいこと言ったわけじゃないですけど。
よく考えたら、ドミノじゃなくても成立してるんですよね、あれ。

まず結論:ドミノはゲームの道具です
「ドミノ倒し」という言葉が先行しすぎて完全に忘れられてますが、ドミノはもともとテーブルゲームの道具です。
正式には「ドミノゲーム」といって、数字の書かれた四角い牌を使います。
ルールはざっくり言うと、同じ数字をつなげながら手持ちの牌を先に出し切った人が勝ち。トランプや麻雀みたいな、ちゃんと頭を使うゲームです。
「へえ、じゃあ本来は倒さなかったんだ」という話で終わればよかったんですが、調べていくうちにもっとおかしな事実が出てきました。
「ドミノ倒し」、ドミノじゃなくても成立する問題

現代のドミノ倒し動画を見ていると、本、ペットボトル、スマホ、積み木、果てには人間まで横一列に並んで倒れています。
あの……それ、ドミノ1枚も使ってないんですよ。
「ドミノを使わないドミノ倒し」という、もはや哲学的な領域に足を踏み入れた遊びが、普通に世の中に存在しています。
連鎖して倒れればすべてドミノ倒し扱い。
牌は必要ない。名前だけが残った状態です。
ドミノくん、完全に名前だけ奪われてます。かわいそう。
商標トラブル起きてもおかしくないレベルです。
なぜ倒す遊びの方が有名になったのか
シンプルに「映えるから」です。
連鎖的にカタカタカタ…と倒れていく映像は、見ていて気持ちいい。
ルールを知らなくても楽しめる。
テレビでも動画でも絵になる。
本来のゲームが地味に頭を使う遊びだったぶん、見た目インパクトの方が圧勝してしまったわけです。
40年以上生きてきて知らなかったのも、まあ無理はないかな…と自分に言い訳しておきます。
しかも「ドミノ効果」という言葉まである
1つが倒れると次々に影響が広がる、という意味の言葉で、経済・政治・日常会話とあらゆる場面で使われています。
ゲームの道具が生んだ現象の名前が、今度は比喩として世界中に広まった。
ドミノ、本体よりも「波及する概念」として生きています。もはや牌の出番がない。
まとめ
ドミノはゲームの道具 → 倒す遊びが有名に → 本体すら不要になった → 概念だけ世界中に広まった。
これ、本人(牌)が知ったらどう思うんでしょうね。
「俺、いる?」ってなりそうです。たぶん、いなくても成立します。
こういう「知ってるつもりで全然知らなかった」系の話、掘り始めると止まらないので、またぼちぼち書いていきます。