思いついたことを時系列関係なしに書き殴るブログ

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父の日だったんですね。

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父の日に何かした記憶が一切ありません。

 

ウチの親父は4年前の2015年6月12日に亡くなりました、68歳でした。

数年前から全身ガンでもうどうにもならなかったんですが、自力で生きて行こうと必死だったみたいです。

 

子供のころ両親が離婚して父親に引き取られました、10才くらいだったと思います、引き取られたっていうか、母親が出て行ったんですが(それ以来30年近く会ってませんがどっかで生きてるらしいって妹に聞きました)

 

実家は長崎なんですが、自分は遠く離れた埼玉県に就職して結婚もしてしまっていて中々帰ることができませんでした、亡くなる数年前に妹からもう長くないかもって連絡を貰っていたのですが、それでも帰らなかった親不孝者です。

 

しかもその数年前に脳梗塞で倒れ、その時も一人暮らしで発見されたのが数時間たってからだったので完全に半身麻痺になってしまい相当辛いリハビリをしてたみたいです、その後何度か会いましたが一切弱音を吐かずに普通に生活してるように装っていました。

 

実家に帰った時に、自分が車の運転していましたが親父は「おいの方がまだ運転負けんばい」って、親父は大型トラックの運転手で子供のころたまに乗せてもらっていたので、自分は「知っとる、一生勝てんさ」って言いましたが、何でも乗れてた親父の免許証がAT限定になっていたのは悲しかったですね、実際あの状態では運転なんかできる状態じゃなかったんで運転はしていませんでしたが。

 

最後に会ったのは亡くなる一か月前くらいでした、さすがにそのころになると全身に転移していて、いつ何があってもおかしくない状態でした、そんなときなぜか退院したって連絡がありました。

 

自分の中ではもう覚悟してました、おそらく最後の退院なんだろうなって、それで数年ぶりに仕事を休んで会いに行くことにしました。

 

久しぶりの地元なんですがなんだか落ち着かない感じで親父のもとへ。

 

団地で一人暮らししていました、ちょうど妹とその子供も来ていました、妹の子供には親父の相手をしてもらって本当に感謝しています。

 

到着した時には少し元気で普通に会話もできましたが、布団を見たら血を吐いた跡が…

 

もう長くないんだなって実感しました、その後普通にテレビを見てたわいもない会話をしていると相当痛いのかトイレに行ってかなり苦しそうにしていました、それを見せたくないのか「今日はいいから、もう泊まるとこに行け」って言われたので「また来るから」って家を出ました、翌日の昼の飛行機で帰るのでビジネスホテルを借りて泊まることに(実家は寝る場所がなくなってて)

 

翌朝の6時くらいに妹から電話があり「お父さんが救急車で運ばれたから、病院に行って」って言われ急いで準備して病院へ。

 

自分の方が先に着いたので待っていると救急車が到着、かなりきつそうでしたが意識はしっかりしていました、そのまま入院することに、やっぱり今回が最後の退院だったんですね。

 

飛行機の時間もあるので病室に顔を出して帰ることに、痛み止めを打って楽になったのか、病院に着いて安心したのか、昨日より顔色も良く会話も普通にできるようになりました「もう帰るけんね」って言ったら「次に来るのは5年後くらいか?」って笑っていました、めったに帰らない自分に対しての冗談だったみたいです「そうね、たぶんそんくらいやろ」って返して埼玉に帰ることに。

 

これが最後の会話でした…

 

それからすぐに亡くなったって連絡があって帰りました、5年もかからなかったな…

 

最後に会えて良かったです、妹にまかせっきりで埼玉で自分勝手に生きてきた親不孝もんです。

 

何も親孝行してないなぁ…

 

ガンになったって聞いても「あの親父なら大丈夫やろ」って勝手に思いこんでましたが最後に会った時にあんなに痩せててすっかり小さくなった親父を見てガンって恐ろしいなって…

 

親孝行してなくてごめんなさい。

 

亡くなる前日も日課のリハビリで新聞の文字をノートに書き写していたみたいなのですが、それを見て驚きました、毎日すごい大量の文字を書き写していました、まだまだ元気で頑張ろうとしてんだな。

 

自分ならたぶん何もしないでボーっと過ごすだろうな、今でも親父には何も勝てません。

 

父の日と命日が近くて久しぶりに思い出しました。